[ POWER TO JAPAN ] INTERVIEW

POWER TO JAPAN

TOP PROJECT COMMENT INTERVIEW

RONZI(from BRAHMAN)、KAZI(from THE JUNEULYAUGUST) new

ronzi_kazi 「POWER TO JAPAN」が興味深いのはボーカリストだけが集まっただけでなく、HEREの呼びかけに賛同したミュージシャンがそれぞれのパートで参加してくれているところ。鍵盤で参加したハジメタルやパーカッションで参加の垣内雄太といったHEREのライブでもお馴染みの面々に加え、BRAHMANのRONZIさんとTHE JUNEULYAUGUSTのKAZIさんという日本ロック界の両雄がドラムで参加。日本屈指のドラマーたちが繰り広げるみつどもえのドラム競演は「POWER TO JAPAN」の大きな聴きどころ。参加に至った経緯を聞いた。

写真右:RONZI(from BRAHMAN)
http://www.tc-tc.com/

写真左:KAZI(from THE JUNEULYAUGUST)
http://www.afro-skull.com/jja/

ボーカルを誘ってると思ったらドラムでのお誘いだったのでずっこけました(笑)(RONZI)
RONZIさんのプレイを見なければよかったなって。プレシャーです(KAZI)


--おふたりが「POWER TO JAPAN」に参加されたきっかけは?

RONZI HEREの宮ちゃんから、「POWER TO JAPAN」というチャリティソングを作るんで協力してくださいませんか?」って言われて。そのときはうちのバンドのボーカルを誘ってるの?って聞いたら、「RONZIさんにドラムを叩いて欲しいんですけど」って。そこでまず1回ずっこけたんですよ。まさかの展開で(笑)。そのときは「4小節だけ叩いて欲しいんですけど」って言われたんで、「そんぐらいだったらいいかなあ」で引き受けたんだけど、なんかレコーディングに来たら増えてるんだよね(笑)。どうなってんのかな宮ちゃん(笑)。

KAZI 俺は尾形氏から連絡がありました。震災があって、やっぱりドラマーなので弾き語りとかするわけにはいかないじゃないですか? ドラムひとりだとなかなかそういう活動はできないというもどかしさがあったんですけど、尾形氏から誘って貰ってその一部分に加えてもらえたというのはやっぱり嬉しいですよね。歌も下手だしギターも弾けないんで「ドラムで良ければ是非!」って参加させてもらいました。

--確かにミュージシャン同士が一緒に何かをやるというのも少ないし、それに輪をかけてドラマー同士が何かをやるっていうのも珍しいですよね。

RONZI ドラムは特にないですね。

KAZI ないっすね。ドラムですから(笑)。

--今回はひとつの楽曲に対していろいろなミュージシャンが参加しているわけですけど、その試みはどう思われましたか?

KAZI 面白いです。ただ、俺はRONZIさんはもういないと思ってレコーディングに来たら、ちょうどRONZIさんがやってるときで「見なきゃよかったな~」と思って。「あぁ~、俺、アト(後手)かぁ」と思って。それがちょっと、プレッシャーでした。

RONZI いやもう、このあとKAZIさんは凄いのやってくれるだろうからね(笑)。

KAZI え?はははは。実際、緊張しましたよ。RONZIさんのを最初に聴いちゃったから「差」を出そうと思ったりもして。そういうスケベ心がいけなかったのかな。

--「差」ですか?

KAZI どうせだったら特色が出たほうがいいと思って。俺はあんまりドカドカやるほうじゃないので、わりと普通の感じでやりました。

--重さでは普通ではないと思いますが(笑)。曲の印象はいかがでしたか?

KAZI 凄くいい曲。ずっと聴いていたんですけど、とても前向きな曲ですね。普段、俺はマイナーコードのバンドばっかりやっているので、なかなかポップな曲を叩く機会はなかったけど……勉強になりました(笑)。ミュージシャンとしての瞬発力を問われているような経験でした。

現地に行ってこっちが逆に勇気を貰った(RONZI)
ステージに立つ心構えは以前と変わったと思います(KAZI)


--おふたりは地震があった瞬間はどんな状況だったんですか?

RONZI 僕はスタジオで地下にいたんですよ。地下だったからあまり揺れてなかったんですけど「長いなあ」というのが最初の印象です。で、外に出たら雰囲気が異様な感じになっていて、ネットで情報を見たら宮城震度7とか出てて「これはヤバい」と。すぐにスタジオを切り上げて家に戻りました。家んなかもごちゃごちゃになってて、テレビの映像を見て、さらに「ああ……」と。

KAZI 俺は阿佐ヶ谷の駅前で立ち読みしてました(笑)。立ち読みしてたらすごい揺れ出して店員から「外に出てくれ」って言われて、外に出たら、阿佐ヶ谷駅前のロータリーに何百人も集まっいて、バスがこう…跳ねてるような状況で…かなり…。うん、みんな立てない状況でした。とにかく怖かったですね…うん。

--駅前で、たくさんの人と一緒に体験するというのはある意味でパニックの真っ只中にいたようなものですね。

KAZI ほんとにパニックですよね。あんだけ長くてデカイのって、あまり体験したことがなかったので。ほんとにどうなっちゃうんだろうっていう……不安でした。

--RONZIさんはBRAHMANとしてもすぐに救援活動の体制を整えられて、支援に向かわれました。バンド内で「なんとかしなければいけない」というような話し合いをされたんですか?

RONZI ボーカルのTOSHI-LOWの地元が茨城なんですけど、東京にいるだけだと実際の情報が入ってこないんですよ。TOSHI-LOWが実家とかに連絡したら「どこそこの避難所で何が足りない」という生の情報が入ってきて、で、「何かやろう」ってTOSHI-LOWが言い始めたから、「何がいるの? 何を集めようか?」ってなって動きだしましたね。

--実際に現場に行かれて感じられたことは?

RONZI 行ったことがある街が津波に飲み込まれている状況っていうのは……。知り合いもいるし、場所も知ってるし。最初の頃は情報が少なかったから連絡が取れない人も多かったし、本当に世話になってる人がいっぱいいるんで、その人たちがまず大丈夫かっていう安否が気になってました。で、テレビとかで中継されている地域もあるけど、中継されてない地域もあって、そういうのが徐々に映像で出てくるんですけども…。それまでが「あそこはどうなってる?」って心配で仕方がなかったですね。結局、だいぶんぶっ壊れてましたけど。

--現地の正確な情報が伝わらなかったのが東京にいる人間としてはもどかしかったです。そのなかでBRAHMANは物資を積んで現地に乗り込まれました。

RONZI たまたま物資を東京で集めている人がいたので僕らの事務所に集めたんです。宅急便だと量が多いし、「こりゃあ直接持っていたほうがいいな」ということで岩手の宮古市に直接持っていったんです。そのとき近辺の山田町とかを見に行ったんですけど……最初、僕はテレビで見ていても、ブラウン管の中だから、まったくリアリティがもてなかったんですね。だけど実際に見に行ったらやっぱり……。生を感じることが大事だと思って行ったんですけど、酷すぎて逆にリアリティが沸かないんすよ。これはもう、実際にあったこととは逆に思えないんです。そうなっていく過程を見てれば、まだわかるのかもしんないけど、自分の見てきた町が、いきなり全然違うことになってるから、未だに夢なんじゃないかとしか思えないですね。

--実際に見て、声を失うという事の重大さがあったんですね。なんともいえないです。

RONZI 人によっては落ち込んでる人もいるし、「頑張ろう」って人もいる。やっぱりそれはそれぞれなんですよ。「頑張ろう」って人で励ましあったりして。最初、東京のほうがオロオロしてる感じはあったんですけど、現地の人は止まってたら生きていけないから進んでいかなければいけないというのが凄くあって。こっちが逆に勇気を貰ったというか。東京でウジウジしてるのがちょっと馬鹿らしすぎるなと思って。被災地に「頑張れ」って言うより、僕らが頑張れって言われているような気がして、それは本当に身に染みました。

KAZI 俺はまだ行ってないですけど、これから何箇所からライブの予定が入っているので自分の目で見てみたいですね。やっぱいろんな話は仲間から聞くんですけど、実際に触れてはいないので見てみたいです。はい。

--震災後、ご自身もしくは自身のバンドで意識が変わったりしたことはありますか?震災前と今ではプレイに与える影響は?

KAZI ステージに立ってるときは変わらないと思いますが、それ以外のところでは心構え的に変わった気がしますね。当たり前のようにやっていたことがもうちょっと真剣に取り組まなきゃいけないと思ったり、そういう心構えは変わったと思う。ステージに上がってしまえば必死なのでそんなに変わらないですけど。

RONZI 僕はやってるときも思い出して、間違えちゃったりするんですよね(笑)。被災地の近くに行ってライブを結構やってて、そうすると現地の人も見にきてくれて、いろんな声も聞かせてもらったりするんです。それってすごい感慨深いんですよね。叩いてても泣けてきたりとかして。本当は演奏に集中しなきゃいけないのかもしれないんですけど、どうしてもいろんなことを思い出してしまって……。胸がいっぱいになってしまって……で、間違えるんです(鼻をすすりながら笑)。

--間違えるのはいろいろ思い出すからだと(笑)。RONZIさんらしいです! 最後に「POWER TO JAPAN」を聴いてくれる方にメッセージをお願いします。

KAZI こういう機会に呼んで頂いて光栄です。ドラムで参加させて貰ったんですけど、とても豪華な面子で思いのこもった1曲だと思います。元気が出る曲だと思うので、是非聴いてください。

RONZI とても元気がでる曲だと思うのでみんなで元気になりましょう。僕は元気になりました。

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誰でもエスパー ハジメタル

hajimetal ミドリ解散後も精力的な活動を続けるハジメタル。HEREにはサポートとしてライブやレコーディングに参加するなど、密接な関係にある両者だけに、「POWER TO JAPAN」でもハジメタルの鍵盤は大きな化学反応を起こしている。がっつりと楽曲に携わっているハジメタルに話を聞いた。

ハジメタル
http://blog.goo.ne.jp/hajime-keyboard

間違いなく面白い曲になったと思います。


--HEREにはライブやレコーディングで参加されていますが、「POWER TO JAPAN」はHEREの活動とは違う趣旨があります。参加しようと思われた理由は?

ハジメタル 「POWER TO JAPAN」って文字の力が大きいじゃないですか? で、まあ、僕はけっこう浅はかな人間なんで、そういう趣旨も当然あるのはわかるんですけど……皆で一緒にやるっていう純粋な音楽という側面から参加しようと思ったのが参加を決めた一番の理由です。そうしたら自然に浅はかな僕でも大丈夫じゃないかと。

--皆で一緒にひとつの音楽を作るという行為にまず興味をもたれたんですね。

ハジメタル ひとつの曲に対していろんな人が関わることは、聴いていておもしろいものになるんじゃないかって予感がしました。間違いなくおもしろいものになったと思います。

--レコーディングをしてみて実感がわいてきた感じですか?

ハジメタル 何回かHEREのメンバーと一緒にスタジオに入ってリハーサルはしていたんですけど、徐々に出来てく感じがありました。このあと、いろんな人がレコーディングに参加してはじめて曲の全体像が見えるんじゃないかなと思います。

--「POWER TO JAPAN」の楽曲では重要なポイントを担っていると思いますが、新たに挑戦してみたことはありますか?

ハジメタル HEREの音楽に入っていくという意味ででは新曲でもあったので挑戦という感じがしましたね。他の曲もリハーサルしてるんですけど、それとはまた別の感じというか。今までのHEREの楽曲を演奏するときは僕が「乗っかる」感じでしたけど、「POWER TO JAPAN」は僕が入ることがある程度予期されたうえでの初めての曲なので、そこは違う入り方だと思います。HEREのメンバーも、僕や僕以外の人が参加するということで、違う感覚で作ったんじゃないですかね。

--地震のときは何をされていましたか?

ハジメタル 次の日に大阪でライブがあったので、大阪に向かおうと思って家から駅に向かっている途中でした。僕は地元が大阪なので、阪神大震災を少し経験して……といっても中心から離れた大阪の端っこの方だったんでそれほどでもなかったんですけど、それ以来の経験でした。あんなに大きな揺れを経験したというのは。でも、あのときよりも揺れた感覚は大きかったと思います。

--今だに余震が続いていますからね。

ハジメタル これだけ長いこと余震に悩まされる事も無かったですよね。地震についてはちょっと今までにない気持ちです。はい。まぁ音楽で何ができるかっていう事を、僕はすぐに考えつかなかったんで、逆に「POWER TO JAPAN」に呼んでもらえてよかったです。

--地震を経て自分のプレイに影響があったりはすると思いますか?

ハジメタル 特に変わったとか、そこまでの変化は自分には感じないです。まぁ、いつ何が起きるかわからないっていうのは、いつもある事なんで、そこに気づかされたというのはありますけど。

--「POWER TO JAPAN」を聴いてくれる方にメッセージをお願いします。

ハジメタル とても良い音楽ができたので是非皆さん聴いてください。

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THE COKEHEADS えび

ebi 「絶叫部屋」という自主イベントのタイトルからわかるとおり、THE COKEHEADSのライブは、絶叫し、のたうちまわる男たちの生きざまを刻み込む。「POWER TO JAPAN」でもボーカルえび君のシャウトはぐさりと聴く者の心を捉える。参加のきっかけやレコーディングでの様子を聞いた。

THE COKEHEADS
http://www.thecokeheads.net/

尾形さんから「もっとテンションあげていこうよ」と言われたので、テンション上げて歌ってます。


--「POWER TO JAPAN」のレコーディングに参加されたきっかけは?

えび もともとHEREとは仲良くしてもらっていて、尾形さんから連絡をもらったときにHEREがやるんだったら「ぜひ協力させてください」と曲も聴かないで即決しました。

--対バンでは何回か一緒にやってますが、一緒に歌うというのはまた違う心構えが必要だと思うんですが、即決だったんですね。

えび 趣旨がしっかりしていて、内容も素晴らしいと思ったんです。HEREの人たちの人間的なところも大きいですよね。無条件にってところはそこが結構大きいです。

--「POWER TO JAPAN」の楽曲を最初に聴いたときはどう思われましたか?

えび もっとしっとりした壮大なバラードとかで来るのかなと思っていたんですけど、結構ノリノリな感じだったので、僕もノリノリな感じで歌おうと思って。

--実際のレコーディングで気を付けられたこととかは?

えび 聴いてもらえればわかるんですけど、尾形さんから「もっとテンションあげていこうよ」と言われました。なので、テンションあげて歌ってるところですかね。

--地震があった瞬間は何をされていましたか?

えび 僕ねえ、自転車に乗ってたんですよ。自転車に乗って環七を走ってたんです。環七と小田急線がぶつかるポイントだったんですけど、急に自転車が進まなくなったんですね。「あれ? おかしいな」と思って周りを見てみたらアパートとかがガンガン揺れてる。そのときはまだ地震だと気づかなくて、小田急線の沿線は電車がくるとこんなに揺れるんだと思ったんです。よくこんな場所に住めるなって。そうしたらなんか様子が違ってるんで、そこではじめて「地震だ!」って気付いたんです。

--そのあとが大変だったんじゃないですか?

えび そうですね。でも全然事の重大さに気づいてなくて、家に帰って落ちてるモノを掃除しようと思ってるうちに眠くなって寝ちゃってましたから。

--余震とかありましたよね?

えび ガンガン余震は来てましたけど、眠ってましたね。起きてテレビをつけてびっくりしました。

--地震のあと、ご自身の心境は変わりましたか?

えび やっぱりちょっと変わりましたよね。阪神大震災とか新潟の震災とかありましたけど、場所的に遠かったのでどこかひとごとのような部分があったんですけど、今回の震災は自分に直にくるっていうか、恐怖が実感としてありますから。長く生きてきてはじめて本当に怖いなという恐怖を感じました。

--ライブ活動とかに支障はなかったですか?

えび キャンセルしてしまったライブとかもあって、そこが今考えても間違いではなかったと思いたいところではあるんですが、やれば良かったという思いもあって、複雑ですね。そのあとにすぐ新宿JAMでアコースティックのライブをやったんですよ。それが凄く感動的でよくて、やっぱりみんな不安なんだなあと思えたというか。震災の1週間後くらいだったと思うんですけど、みんな不安で日常が一番欲しいというか、僕ら音楽やってるんで俺たちはいつもどおりこうやって音楽やってるよという姿を見せてあげるのが、お客さんは一番安心出来るんじゃないかなと思いました。

--今後の曲作りなどに影響はありますか?

えび より人に伝えるためにはどうしたら良いかっていうところに意識が向くっていうか。そういうところがちょっと変わると思います。

--最後にメッセージをお願いします。

えび 「POWER TO JAPAN」を聴いて盛り上がっていきましょう。これからもよろしくお願いいたします。

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THE RODS 陶山一郎

suyama 日々のいらだちや目の前にあるなんでもない光景をエモーショナルに切り出す4人組ロックバンド、ザ・ロッズ。「POWER TO JAPAN」にはボーカルの陶山一郎だけでなく、三橋隼人、垣内雄太のメンバーも参加。「POWER TO JAPAN」の楽曲を大きく担っている。今回はボーカルの陶山一郎にレコーディングに参加した感想を聞いた。

THE RODS
http://the-rods.com/

透き通った綺麗な声で歌うことを心がけました。


--「POWER TO JAPAN」のレコーディングに参加されていかがでしたか?

陶山 楽しかったです。

--通常の対バンではなく、たくさんのミュージシャンと一緒に曲を作るというのは普段の活動と違って特別なことだと思いますが、どんな気持ちで参加を決められたんですか?

陶山 僕も(震災後に具体的に)動きたかったけど、動けなかったんできっかけになったし、良い企画だなと。

--「生まれかわる朝を待ってる/震えるくらいの希望と」というパートはどんな気持ちを込めて歌われましたか?

陶山 透き通った綺麗な声で歌うことを心がけました。

--ご自身では透き通る声だと思われてるわけですね(笑)。

陶山 透き通った声で歌いきれたかな、と思ってますね。みんなの心に響くような……。

--心に響く歌声なのは間違いないですけど、透き通ってるかどうかは……。

陶山 綺麗に歌いたかったっていうのはあります。あとはいろんな方がいるので緊張しましたね。

--まったく緊張しなさそうなキャラですけど。

陶山 いやいや、周りが出来る人達だから俺みたいなクソ野郎でも大丈夫かなぁ、と。スタジオにたくさん人がいると緊張しますよ。それは本当です。

--地震のとき、陶山さんは何をされていたんですか?

陶山 仕事で運転中だったんですけど、ちょうど信号待ちのときで、あまりにも揺れるから、脇に止めたらもっと大きな揺れがドッーー!!ってきて。俺、釣り人だからすぐに津波が心配になって、携帯でチェックしたんです。そうしたら、俺が行ってる千葉の船が流される衝撃映像が流れてて……あれが一番ショックでした。船が流されるっていうのが。

--いつも乗ってる船だとさぞやびっくりされたでしょう。

陶山 地震がくると船っていうのは沖合いに一斉に出るんですよ。その出ようとする船が流されていったから……衝撃でした。

--地震からしばらく経った今の心境は?

陶山 まぁ、徐々に普通にはなってきましたけど、やっぱり映像をみると暗くなりますね。かといって、こっちで落ち込んでもしょうがないですから普通に酒飲んだり釣りに行ったりしてます。

--地震の影響でご自身が作る曲に影響があったりしますか?

陶山 ミュージシャンとしてではなく、人間として考えることは変わったかもしれないです。

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音影 ボーカル:櫻心寺李維 ギター:武蔵坊鬼丸

otokage 異次元からやってきた4人の忍者たちが、ロックを駆使した術で私たちを魅了する。ロックバンドなのか、忍者集団なのか!? その正体を確かめるにはライブに行くしかない! 「POWER TO JAPAN」にはボーカルの櫻心寺李維と6弦の武蔵坊鬼丸が参加。熱い気持ちを語ってくれた。

音影
http://www.otokage.com/

インディーズのミュージシャンがいくら集まったからってどうだって意見もあると思うんですけど……やっぱり気持ちだと思う。


--3月11日はどんな1日でしたか?

李維 俺は音影じゃないバンドでライブをやってたときに揺れて大変でした。

--音影じゃないバンドもやってるんですか?

李維 忍者なんで別の任務として。ちょうどMCのときだったんですけど大変でしたね。まずは見に来てくれていた人をすぐに避難させて、自分らも避難して、ライブは中止になったし大変な状況でした。でも、そのそのあとから知ることから較べたらまだ全然。

--そのときはまだ情報も少なくて?

李維 共演者たちと携帯で情報を集めてたら、津波がくるって情報を得て、そしたら電車も止まってるって。そこで、これは凄いことが起きてるって気づきました。

--鬼丸さんも一緒だったんですか?

鬼丸 いえ。俺は別の場所だったんですけど胸の骨を折りました。

--え? どういうこと?

鬼丸 キャプテンズのボーカルの傷彦が入院しているので、お見舞いに『ONE PIECE』全巻を両手いっぱいに持って電車に乗ってたんです。混んでたんで、椅子の脇のところに立ってたんですけど、電車が横転するんじゃないかってくらい揺れて。

--忍者としての訓練を行なっている鬼丸さんでも『ONE PIECE』全巻抱えていると素早い動きはできなかった?

鬼丸 なにしろ『ONE PIECE』全巻持ってますからね! もう、棒にはさまれるだけならまだしも、10人くらいの人に挟まれてしまって、身動きができなくて、胸がバキッと。

--そこで骨が折れたんですか?

鬼丸 その3日前くらいにスノボに行ってて、そこで派手なコケ方をして、体中が痛かったから、それもあったのかもしれませんが……。

--スノボに行かれてたんですか?

鬼丸 雪山の訓練ですね。

--ああ、なるほど。

鬼丸 スノボで筋肉痛だったので、折れてるとは思わなくて。筋肉痛が引いても「なんか胸だけが痛い」と思って病院に行ったら「折れてます」って。

--それはスノボで? 電車で? 

鬼丸 絶対、電車です! バキッっていったんで(笑)。

--さすがの武蔵坊の忍術をもってしても骨が折れましたか。

鬼丸 人生初ですね。やっぱり不可抗力は怖いです。

--今回、「POWER TO JAPAN」に参加したきっかけを教えてください。

李維 とあるライブハウスでHEREさんと共演しまして、非常に良いバンドだなと連絡先を交換して、共演した経緯があったんですけど、今回の地震のあとにHEREさんから「何かやりたい」という声をかけてもらって、「じゃあ、是非、我々も」ということで参加させて頂きました。

--実際にレコーディングをされていかがですか?

鬼丸 音影は明るい曲をやらないので新鮮でしたね。あんまり自分たちのバンドではやらない感じの曲で、こういう元気をつける明るい曲は、歌ってて楽しいなって思いました。しかも俺は普段、ボーカルじゃないので今回は歌わせてもらって楽しかったですね。

--今回は音影を代表して、李維さん&武蔵坊さんに歌ってもらいました。貴重ですね。

鬼丸 あと、ちょうど僕たちも震災の前に作っていた曲が「日本に元気を出してもらいたい」という曲を作っていたんで、メッセージ性も共感する部分がありました。

--今回の「POWER TO JAPAN」は、ミュージシャン同士が連帯した「Band Aid」とか「We are the world」のようなものですが、ミュージシャン同士が連帯するということに意義があると思いますか?

李維 メジャーシーンだとあるけど、インディーズシーンでやってる人っていないからそういう意味では珍しいですよね。まあ、やるのも大変だから誰もやらないんだけど。それをやろうというんだからHEREの気持ちは凄いリスペクトできます。自分らはたいしたことはできないですが、それに少しでも協力できたことを嬉しく思っています。

「元気出していこう」という曲を推し進めていきたい。

--震災からしばらく経ちますが、心境の変化はありましたか?

李維 震災直後は自分らのイベントが翌々日にあったりして、その対処とかでバタバタしてました。あとは全国的に自粛ムードというか、もちろん馬鹿騒ぎをする状態ではないかったと思うんですけど、自粛ムードが強すぎる状況にあったのもどうなんだろうって思ってました。都知事が花見自粛しろって言ったり、「それは違うだろう」って思いながら、京都に花見に行ったりしましたね。そのとき思ったのは西日本と東日本が全然違っていて、やっぱり元気な日本っていうのが「これが日本の姿だろう」って思って。俺ら音楽やってる人間ってただでさえそういうので叩かれがちだけど、やっぱり音楽をやって日本に元気をというのは間違っていないと思う。

--ミュージシャンができることをやろうと。

李維 もちろん被災地に行ってボランティアしてる友達もいるし、そうじゃない支援の方法あると思うんですけど、「POWER TO JAPAN」もインディーズのミュージシャンがいくらたくさん集まったからってどうなるんだって意見もあると思うんですけど……。でもそれは…やっぱり気持ちじゃないですか? 大事なのは。なんとか少しでも、ほんとに少しでも被災地のためにというか、日本のために、何かやりたいという気持ちを込めて参加者は歌っていますし、それが大事かなって思ってます。僕らはこれからもそういう気持ちで音楽を続けて行きたいなと思っています。

--震災後、ミュージシャンとして生み出すものに影響はありますか?

李維 たまたま震災の前にできた曲が、ちょうど「みんな元気出して行こうぜ」みたいな、そういう曲だったんですね。で、そのあと作っている曲も「元気出して行こう」という気持ちがさらに強まったところはあります。

--音影が「元気を出していこう!」というアプローチをするのは珍しいのでは?

鬼丸 今まではボーカルの李維が自分で書いてきて「どう?」というのが多かったんですけど、今回はテーマ的な部分から、こういう感じにしようと話しあったり、レコーディングのときからみんなで話し合っていたので、これまでの音影のアプローチとは全然意識が違いますね。これからはみんなの意識が入り込んだ歌詞になるんだろうなという気がするし、歌詞やフレーズひとつとっても前より大切に作っていってるとは思います。

--「POWER TO JAPAN」を聴く方にメッセージをお願いします。

李維 ほんとに頑張るしかないと思うんですよね。被災地の方は俺ら東京に住んでいる人間の大変さからいったら、雲泥の差で大変だと思うんですけど、それでも自分らの周りの音楽でメシを食っている奴らなんかも仕事を辞めざるを得ない状況になっちゃったり、人生が大きく変わっているいる人がたくさんいて、で、その中でくじけそうになることもあるんですけど、やっぱり「元に戻そう」というか、100パーセント戻るわけではないと思うんですけど、それに一日も早く近づいていけるようにっていうのが「復興」だと思います。そういう意味ではほんとに生活を取り戻したいですね。こういうことがあって、取り戻せた生活というのは気持ち的にも前よりいいものになっていると思うんで、地震を「糧」にそれぞれが頑張って、俺らも頑張るから、一緒に頑張りましょう。

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lines

lines 栄田祥子、奥村健、島田圭一郎、佐藤栄太郎の4人からなるポップグループ。ライブハウスやクラブで独自のポップミュージックを奏でるlines。「POWER TO JAPAN」には栄田祥子さんがボーカルで参加してくれましたが、インタビューには全員で応えてくれました。

lines
http://lines.tk/

地震の前に作った曲を歌っても揺るぎはなかったのでほっとしました。


--「POWER TO JAPAN」に参加するきっかけは?

佐藤 HEREのベースの原くんから参加してみない?って連絡がきたのが最初です。

--もともと原くんとは面識があったんですか?

佐藤 同級生なんです。お互い高め合った学生時代を過ごしてきました(笑)。

奥村 佐藤からそういう話をもらって、すぐにバンドとしても「いいよ」という返事をしました。断る理由はないなと思ったので。実際にはボーカルの栄田しか参加してないんですけど、バンドとしても「参加」しますと。

--実際にレコーディングをされていかがでしたか?

栄田 普段はお会いしないミュージシャンの方がたくさんいて、皆で作っている感じがして新鮮でした。

佐藤 今、まさにレコーディングが終わったばかりなので、部分部分しか聴いていないし、祥子さんの歌と、祥子さんの前後しか聴いてないからどうなっているのかわからないですけど、どんな音になるのかわくわくしています。

島田 単純にゲビルさんやHEREさんは、これまで対バンをしたことはないんですが、知り合いのバンドの企画に出ていたりして、知り合いの知り合いみたいな感じだったんです。そこが交わるっていうのがおもしろいなあと思いますね。

--linesとゲビルはなかなか繋がりませんよね(笑)。

島田 昔、ビーイング系の人たちがやった企画のような感じかなと。勝手に想像してました。WANDSとかZARDとかが一緒にやったやつ。なぜか長嶋茂雄も入ったりしてて。

佐藤 今回、スポーツマンの人はいないけど。でも、最後に「ジャパン」って言ってるから(笑)。

--栄田さんは実際に歌われてみていかがでしたか?

栄田 自分の思想とかっていうのは逆に必要無いって思ったので、普通の人が歌うのと同じように歌えば良いと思ってやってみました。

--震災のときの気持ちもお聞かせください。実際に当日はどう対応されましたか?

島田 バンドのミーティング中だったのでみんな一緒にいたんですよ。いつもより揺れが長いから、これ危ないんじゃないかって。そうしたら本当に大きな地震で。

--バンドメンバーと一緒にいれたというのは心強かったんじゃないですか?

佐藤 そうですね。僕はそのままメンバーの家に泊まらせてもらったので、一人で居たらどうなってたか分からないですね。

島田 幸い、みんなテレビが見れる状態だったし、ネットも繋がっているから、リアルタイムでどんな状況になってるかは把握できていてそこは安心できるところでした。

--震災後に気持ちの変化はありましたか?

栄田 異常事態な感じはまだずっと持っていますね。だから何にも整理できてないし。毎日考えちゃいますね、なんかずっと、うん。東京に住んでる私ですら、今まで感じたことがない恐怖だったし。自分の家族と連絡がつくまでの間も、はじめての体験でした。東京ですらそうですから、きっと東北の方の恐怖は相当なものだと思います。

--震災を経て、今後作る楽曲に影響は出ると思いますか?

奥村 linesは栄田が歌詞をかいて、曲はメンバー全員で作るんですけど、基本的な枠組は変わってないと思います。僕自身としても変わったという気はしないですけど、ただ、周りの人が凄い変わったなっていうのを感じます。僕が作ったものでどうにかしたい、なんとかしたいって対象の人は少なからず変わってくると思うんですよ。凄く変わった人もいれば、ちょっとだけ変わった人もいる。その人達のことを考えるということに対して、要は考える対象が変わったことに対して、作るものも変わるんだろうなと思っています。じゃあ、それを形にできてるかっていったら、そんなことはないんですけど……。でも、自分が作って、作業しているのをみると、「ああ、僕はこういう人たちに向けて伝えたいんだな」と思っています。

栄田 たぶんバンドとしてというより一人一人違うと思うんですよね。歌詞を考えるときに、今一度見るとそれがそぐうのかどうか。適当に作ってた物とかそうじゃないものが、今回の事があってから凄く明確になると思うんです。そこが不安だったりしたんですけど、まあ、でも地震の前に作った曲を歌っても揺るぎはなかったので、ほっとしました。でも、それを確認するまでは「もう歌えない」と思っていましたね。

--自分が歌ってきた内容は果たして、大丈夫かどうかっていうところですか?

栄田 嘘になってたら嫌だなと怖かったんです。

--でも、変わらずに歌えたわけですね。

栄田 そうです。本当にほっとしました。

--最後にメッセージをいただけますか?

栄田 みんな、歌を歌って元気になりましょう!

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Mop of head GEORGE

Mop of head  GEORGE ロックの破壊力とダンスミュージックの軽やかさを融合させ、唯一無二のライブを繰り広げるMop of head。7月6日に新アルバム『RETRONIX』の発売が控える彼らから、リーダーのGEORGEが「POWER TO JAPAN」に参加。狂騒のキーボードを響かせてくれた。

Mop of head
http://mopofhead.com/

--「POWER TO JAPAN」に参加するきっかけは?

GEORGE HEREのベースの原くんに誘われてです。

--「POWER TO JAPAN」に参加してみていかがでしたか?

GEORGE Mop of headのレコーディングを海外でやっていた為、僕はあとから参加したんですが、完成した音源を聴いているとレコーディング当日の熱いエネルギーが伝わってきます。

--ミュージシャン同士がこういう機会をもって連携することはどう思われますか?

GEORGE 沢山の才能が集まることは、刺激的なことだと思います。

--震災から現在までどう過ごされていますか? 気持ちの変化があったり?

GEORGE 正直、ここまでサヴァイバルな時代に突入するとは思っていなかったです。現在は現実として受け止めることが、少しずつできるようになってきました。

--震災後、ミュージシャンとして作るものに影響は出てくると思いますか?

GEORGE それはまったくないです。どんな時でも自分の音楽を自分のやり方で作り続けたいと思っています。

--ありがとうございました。

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ゲビル 若

handsome 誰かが困っていると手を出さずにはいられない義侠心の塊のようなバンド・ゲビル。4月には義援金を集めるイベントを開催するなど、早くから復興への支援を表明している彼らが「POWER TO JAPAN」に参加。HEREとは浅からぬ縁を持つ若(ボーカル)だけに、インタビューでも熱の籠った力強い言葉がたくさん聴けた。

ゲビル
http://www.gevil.jp/

いろんな人がリレーのようにバトンタッチしながら、日本、世界に繋がっていければいい


尾形回帰から連絡をもらった瞬間に僕の気持ちは決まった。


--「POWER TO JAPAN」に参加するきっかけは?

 尾形回帰から連絡をもらった瞬間に即答で参加を決めました。震災だからこういうことをするという感覚ではなく、バンドという世界で育って来た者として、常に繋がっている彼らから話がきた瞬間に僕の気持ちは決まっていました。繋がっているというこはそこに集まっている面子もきっと同じだろうと思っているので、即答でしたね。

--対バンの経験があるバンドだけならまだしも、今回の企画には面識がないバンドも参加されていると思います。ジャンルを超えて集まる機会に触れてみていかがでしたか?

 どんなバンドと関わるのも抵抗はないですし、この「POWER TO JAPAN」は、チームワークとしていろんなバンドが集まるというよりも、ゲビル、僕、そして音楽をやっている人以外も、みんなひとりひとり命というものと向き合うきっかけをくれていると思う。スポーツやっている人も、会社に勤めている人も、学生さんもみんな1秒1秒、“命と時間”というのは変わらないので、いろいろなバンドとつながりが持てるというのは絶対欲しい機会でした。

--今回は対バンではなく1曲をみんなで作るという珍しい試みですよね?

 今までイベントで対バン形式でやってきましたけど、結局、みんなその先の未来を見てると思っているので、ジャンルを問わず、こういう1曲をHEREが発起人としてやることは非常に賛同できます。

--実際に『POWER TO JAPAN』のレコーディングに参加してみていかがでしたか?

 音源を頂いてから数日、個人練習というか、この曲を頭にぶっ叩き込んできましたが、一瞬のレコーディングでしたね。

--レコーディングも拝見させてもらいましたが、ほんとに一瞬でした。ほとんどワンテイクじゃないですか?

 僕が歌った歌詞は「がむしゃらもがいて生きてきたんだ 邪魔すんじゃねえよ」というパートでしたが、僕が歌うことを想定して書いたとしか思えないパートでしたね。レコーディングは一瞬でしたけど、それは永遠に残る一瞬で、音楽の凄さは夢いっぱいに詰まっているんじゃないですかね。

--『POWER TO JAPAN』という曲はいかがですか?

 インビシ時代から尾形回帰のことは知っていますが、きっといろんなアーティストさんが加わるということで、彼なりにイメージを膨らませて作ったんでしょう。今までにないようなHEREの楽曲になっていると思います。制作者のひとりとして、この楽曲がどこまで転がるか、いろんな人がリレーのようにバトンタッチしながら、日本、世界まで広がっていければという期待もありますし、スタート地点であるレコーディングの思い出を心に刻みました。

「生きていればまた会えるだろう」みんな繋がっているから。


--震災当日のことも聞かせてください。当日はどのように過ごされていたんですか?

 実は数年前の新潟中越沖地震を体験してまして、たまたまドンピシャで震源地の柏崎にいたんです。その時に物凄いマグニチュードをくらったことがあって、海の家にいたんですが、電話も繋がらない、情報もない、津波が来るんではないかという現実を体感したことがあるので、あの日は東京にいたんですが、揺れた瞬間にすぐに避難しました。

--新潟中越沖地震が教訓としてあったから、冷静に対応されていたんですね。

 まず震源地はどこかと確認しました。東北ということだったので、そこに住んでいる人達の気持ちが頭の中にフラッシュバックして、次に津波の心配があったのでツイッターですぐに呼びかけました。新潟中越沖地震を体験したおかげで生き死にという瀬戸際の感覚というのが甦りました。

--地震のあとはどう過ごされていましたか?

 僕は今年33歳になるんですけども、たった30数年間の中で、阪神大震災もありましたし、新潟中越沖地震もあり、日本各地で震災が起きてきました。今回の東北もそうですが、改めてみんな繋がっているんだと感じます。ゲビルで全国各地にツアーにいくと、それこそ僕は一度会った人達とは名残惜しい気持ちにいっぱいになって、「次いつあなたと会えるの?」って聞くんです。だから僕がライブの最後に残す言葉は「生きていればまた会えるだろう」という言葉なんです。

--生きてさえあればまた会えるという若さんらしいメッセージです。

 結局、自分の命は自分で守るしかないし、僕らも東京にいる人たちも自分たちで命を守って、生活をなんとか支えていると思う。東北に限らず、世界中でいろんなことが起こっているなかで、自分の一生というものを考えて……。僕らはたまたまゲビルという看板を背負って、いろいろな人との出会いや別れを繰り返しているけど、そういう活動のなかでまた出会えるのは嬉しいこと。だから今回の地震のあとでも、東北の方が東京まで足を運んでライブに来てくれたりしてますし、みんな同じ命だっていう重さは感じています。

--地震を契機に表現者として変わったことは?

 ゲビルの歴史14年のなかで、僕が書いてきた曲はまさにそういうことなんですよ! 祭りごとっていうのは天と地を崇め、そしてこれからも我々が健康でいられますようにという願いを込めたもの。地震以降にそれらが変わることはないですし、むしろ今まで僕が思ってきたことだとか、これから人々がゲビルの歌詞を見て響くものがあったり、自分でも再確認できることがある気がします。そこでは敏感になってくるんではないかと思っています。

--最後にメッセージをお願いします。

 みなさん、この度は3月11日という歴史的なことが日本で起こりましたが、僕たちの命っていうのはみんな平等です。いろんな肩書きだとかあるけれど、心は素っ裸な状態だと思っております。僕は今まで生きてきたとおり自分の道も自分の仲間も感じながら、貫いて生きていくし、この出来事を未来のまだ見たことのない子供達に伝えていこうと思っています。ひとりひとりが主役なので、一緒に声をそろえて、生きててよかったと思えるような人生にしましょう。この思い出は絶対に消えないから! 人生は思い出作りなり。ワッショイ!

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ハンサム兄弟 判治大介

handsome 「ばっちこーい!」という力強い歌声ですべてを持っていくハンサム兄弟の判治さん。人望厚く多くのミュージシャンからリスペクトを受ける兄貴分だけに、震災後の活動も素早かった。すぐに救援物資とギター1本を抱えて被災地に出向き、現地の人達の声を聞き歌を歌った。避難所で歌い、そこで暮らす人達から必要なものを聞いた判治さんは東京に戻り、復興への声を上げる。ひとりの人間として、ミュージシャンとして、できることをずっと続けよう、判治さんの声には熱い魂が宿っている。

ハンサム兄弟
http://www.hand-some.com/

ギター1本さえあればおばあちゃんにも伝えられる


「あんたのこと知らんけど、避難所に来てはじめて泣いたよ……」


--地震直後から、現在の活動に到るまでを聞かせてください。

判治 地震のときはちょうど風呂に入ってたんですよ。そうしたら揺れがきて、「おっと、なんだこれ。いつもより(揺れが)長いな」と思って。とりあえず外に出たら凄いことになってた。でも、一番最初にやったことは、まず、買ったばかりの液晶テレビを全裸で押さえること。

--全裸でテレビを押さえる判治さん……。

判治 揺れが収まったところでテレビをつけたら、仙台空港に津波が来ている映像が流れてて、「うわあ」なんだこれはと。そこから家族を迎えに行ったり、できる限りのことをして当日は過ごしました。

--被災地へ向かわれたのも早かったですよね?

判治 地震があった週に、すぐにうちのスタッフ(判治さんは映画会社を経営している)が福島第一原発の正門へ行ったりしてたんですけど、オレが行ったところで映像を撮れないから遠慮してたんですよ。そのときはなんかよくわからんかったんで、とりあえずYOUTUBEで毎日歌ってたんです。そうしたら2週目に福島のファンの子からブログにメールがきて、「僕は福島の高校を卒業をして、就職で他県の寮に入る予定なんですけど、福島県人というだけで、スクリーニング検査の証明書を持って来いって言われたり、卒業旅行で温泉旅行を予約してたのに福島県からだっていうだけで、旅館からキャンセルされたりしてます」というメールがきたんです。

--ひどいですね。

判治 そう。福島はそんな状況になっとんのかってショックを受けて。そのときちょうど、ロングテールバイクっていう荷物を運べる自転車を届ける仕事があったんで、実際に行ってみようと。

--情報が少なく、道路状況もわかならいなか行動を起こすのは不安ではなかったですか?

判治 ロングテールバイクっていうもともと災害用に作られた自転車があるんですけど、それをメーカーが被災地にいくらでもあげるといってたんです。それを原発の周辺に住む避難所から欲しいという要請があったんで、じゃあオレが行こうと。ブログにきたメールの件もあったし、福島って放射能があって「行っちゃいけないんじゃないか」っていう空気があったから、とりあえず福島に行って、「福島行ってくるぜー! 福島イエーイ! オレは元気に歌ってまーす!」ということをやろうかなと。福島の地酒を飲んでるパフォーマンスをするだけでもいいだろうと。何か発信できるだけでもいいやくらいの気持ちで福島に向かったんです。

--YOUTUBEで避難所で歌っている映像がありますが、あれは?

判治 避難所で歌えなくてもいいと思ってたんだけど、たまたま行った避難所で、炊き出しをしてたら、ボランティアのおばちゃんが「あんた歌手なんでしょ? 何かやってよ! 私、オーディションしてあげるから」って。オレは被災している人はもちろんだけど、ボランティアしてる人も疲れてるやろうから、おばちゃんたちに向けても歌いたかった。「おばちゃん、オレ、『NARUTO』の歌も歌っとったんだよ」って言ったら、「私、全部DVD持ってるよ~」ってなって歌ったら、そのおばちゃん泣いてくれて……。避難所でもぜひ歌ってくれって。普通だと自治会を通して許可がいるんだけど、食事の時間だけはボランティアの時間だから、配膳している10分くらいだけ歌っちゃっていいよということで、許可を貰ってやることになったんだけど、いざ歌うとなったら怖くてね。

--いくらライブハウスでは無敵のハンサム判治さんでも、避難所で歌うのは初めてですよね?

判治 そのときはまだ避難所のなかには入ったことがなくて。外で炊き出しの準備をしてたから。普通の体育館だけど、そこは避難所なわけでさ。あの体育館まで行く渡り廊下を歩いていくときはオレ、足がガクガクしちゃって。あんなに緊張したのは初めてだったよ。で、体育館の扉を開けたら、ニュースで見ているブルーシートで家族ごとに区切られていて、おばあちゃんが寝てたりするシーンが目の前にあるわけ。本当に緊張したけど、歌うと決めた以上は意地でも歌おうと思って、いつもどおりにやった。歌ったよ。

--どこの誰かもわからない人が、いきなり歌い出していいものかどうか、空気的にはやっちゃいけない感じになってるわけですよね?

判治 そうそう。そうやけど歌い出したら、まず子どもが走ってきて、次におじいちゃんやおばあちゃんも手を叩いてくれて、なんとか歌えた。そうしたらおばあちゃんが「「わたしら歳だから、あんたのことは誰かわからんけど、ここにきてはじめて泣いたよ」と言ってくれて……。震災のあと、泣く暇もなかったくらい急なことが続いて、全てを失って、避難所にきて、そこで雑魚寝を続けてたから……。そんな方達の前で歌うことは周りからもまだ早いって言われたし、オレもそうかもしれんとも思ったけど、でも、音楽はいつでもいんだ!って。そこに必要なのは歌う覚悟なんだって思ったよ。

--実際に行かれたからこその言葉です。

判治 オレはたまたま声が大きくて、あの時点では一番使えたミュージシャンだったと思うんですよ。ギター1本さえあれば、音響システムがなくてもおばあちゃんにも伝えられる自信があったから。今はもう、いろんなアーティストが行って、準備ができてると思うけど、それまでの空白をつくらずにすんだっていうのは自分でもやってよかったと思えた収穫ですね。やっぱり向こうに行かないとわからないこといっぱいあるし。実際、チャリティーライブとか見て、東北の人のために歌いますといっても、本当に苦しんでる人はだれも見れないし、聴けない。やっぱりその場所に行って歌ったり、「POWER TO JAPAN」みたいに、何か動きを実際にする。歌うことなんて今までずっとやってるじゃない? この震災があってもなくてもやってることを歌う理由にするのは違うのなって思ったんですよ。

--普段やってること以上のことをしないとこの状況は変わらないわけですよね。

判治 「POWER TO JAPAN」だって震災がなかったらなかったことじゃん。これは一個のアクションであって。俺はたまたま向こうに行く縁があったもんで、行って歌ったら「お、いける」と思って歌っただけで。アーティストとして具体的なアクションをしたい。

規模が全然伝わってない。この活動はずっと続けないといけない


--すでにどれくらい行かれてるんですか?

判治 (インタビュー収録は4月末)もう4回くらい行ってますね。一回行ったら5~6個の避難所を回って飛び込みで歌っています。この間、はじめて学校の校長先生からコンサートをやるから出てくれないかという依頼があって、マイクを使って歌せてもらいました。まずはそれが音楽復興の第一歩だと思うんで。これは言っていいかわからんけど、歌を歌う1週間前にはその体育館は遺体安置所だったりしたと聞いてたんで。でも、一週間経ったらコンサートができるようになっている。そうやって復興をしてくんです。

--実際に現地で感じられたことと、テレビを通して伝わっていることは違いますか?

判治 規模が全然伝わってないですね。テレビを見れば現場の凄さは伝わってくるんですけど、あれが永遠に続くんです。気仙沼から陸前高田って宮城県から岩手県の県境の海沿いを20分くらい走るんですけど、ずっと瓦礫が続いてるんですよ。高いところにいくと普通の住宅街なんですけど、低いところはなんにもない。ゼロか100っていう。こっちは瓦礫でこっちは普通っていう。

--津波がきたボーダーのところで線引きされてるんですね。

判治 この前、コンサートやったところも体育館で全然普通なんですよ。新しい小学校だったんですけど、でもその小学校の細い道を抜けたら船がガードレールに乗り上げていたり。ホントに明暗がくっきりとわかれてるんです。そのくっきりラインがたぶん岩手県の海岸沿いからあると思うんですよ。だからほんとに規模のでかさとかが、今我慢すればどうにかなるってもんじゃない。本当に長い時間が必要なんです。だから、オレたちはいろんなパターンをやっていかんと。オレはまず被災地に行って歌う。で、東京に戻ってきたら「POWER TO JAPAN」に参加する。そしてコンビニに行ったら赤十字に10円入れるとか。友達が何かNPOでやるっていったら寄付金を送るみたいな。いろんなことをやっていかんと。それくらい規模がでかい。

--判治さんをそこまでつき動かしている原動力は?

判治 オレ、この2年間、先輩の死に対してずっと動いていたんですよね。デブパレードとハンサム兄弟の活動はしてたけど、それと並行して癌で死んじゃった38さん(typhoon24のmiya38)のことでずっと動いていて。実はオレ、38さんの家族としてたまたま告知を受けたんですよ。それで縁があって、ここ2年くらいずっとその活動を一所懸命やって……3月8日が、の人の記念日なんで、今年の3月8日に企画をやって、それで一区切りをつけたんですよ。個人的にはデブパレードも2月で辞めたし、これから先はハンサム兄弟として純粋に音楽を楽しもうと思っていた矢先に3月11日が……。

--切り替える間もなく地震が起こってしまったわけですね。

判治 区切りだったんで、ライブの予定もなかったし、3月の終わりにちょっと東北縦断のチャリンコツアーをしようと思ってたんですよ。偶然。だから、本当ならば3月15日過ぎからオレは美しい東北の海沿いをギターを持って楽しく走ってるつもりだったんで。原発はあっても綺麗な福島の海沿いを走っていたはずだったんですよ。それが3月11日のタイミングであんなになっちゃったんで、オレはもうわけのわからないうちにどっぷり動いているだけやね。

--それでも行動に移すことはなかなかできません。

判治 オレも最初、何もできないと思ってたよ。だけど、たまたまチャリンコを送って欲しいという連絡をもらったり、ファンからメールをもらったり。何ができる?と考えて、何もできないみたいな。募金しかできないって気持ちになってて。YOUTUBEで歌を歌うくらいだった。そしたら、被災地の……ネットが見られる人たちが「凄い心に響いてます」というコメントをくれて。じゃあ歌おう。どうせだったら、現地に行って歌ったほうが届くだろうという気持ちになれたからですよ。

超有名なバンドも、バンドシーンの連中も、いろんな形で動けばいい


--『POWER TO JAPAN』に参加したきっかけは?

判治 HEREの尾形くんが声をかけてくれたので、「ありがとう。やるよ」って速攻で返事しました。オレは復興に関してはいろんなパターンがあっていいと思ってます。超有名な人もやればいいし、オレたちみたいなバンドシーンではそこそこでも一般の人は知らないというバンドたちでも動いてますっていうような。もうね、いろんなパターンがないと、サポートしきれないんですよ。

--実際に曲を歌われていかがでしたか?

判治 「見上げた夜空に/ほらUFOだ/なんだか良い予感がする」というワンフレーズに気持ちを込めて。このメンツのなかでこのフレーズをオレが当て振られてるということは「こりゃあ、飛ばす役だなって(笑)」。アクセントとして、そこはもう尾形回帰の気持ちを察して。HEREとはインビシ時代からずっとやってきているんで、何を求めているかわかるから「オレもわかってるよ!」って感じでレコーディングさせてもらいました。

--曲をひと通り聴いてみての感想は?

判治 元気のでる曲だと思う。いいと思います。ドラムもカジくんとか叩いてて、いろんな人が声を出して。これはおもしろいと思う。うん、おもしろくていいと思うんですよ。オレ、こいつらと何かやりたいって思わせてくれたし、HEREだったから曲も聴かずにOKしたし。HEREのこと大好きなんで、おもしろかったですね。

--やらなければいけないことはたくさんありますね。

判治 ソフトバンクの孫さんの100億円寄付はスゲーと思うし、俺らは100億円なんてだせないけど、思いだけでも動かさんといかん。このCDを買うファンのきっかけになればと思って参加させてもらうことにしたんです。とにかくきっかけを全部作ろうと思って。「判治さん、矢面に立ってくれますか?」って言われたら立つし、募金集めますっていったら声を出すし、それで5000円でも多く集まればいい。そういう積み重ねがないと本当にもう……今、音楽を我慢すれば東北が蘇るんなら我慢するけど、そんなレベルじゃないから。普通の生活して、楽しいコトやって、1年間禁酒ってできなでしょ。1週間なら我慢できるけど、1年間は禁酒できない。だったら、音楽をバンバンやってチャリンコで旅もバンバンしようと思ってる。だから、オレはこれからも被災地にいって歌うし、それが使命だと思ってる。

--判治さんのパワーを生でみると問答無用で元気になりそうですよね(笑)。

判治 もう2回、3回、4回くらいチャリンコで避難所を回ってるんで。「おーい来たよ~」って行くともう顔なじみなんですよ。だから、オレも毎回同じ服をきていくんだけど、そうするとおばあちゃんも、「ああ、またお兄ちゃんが来た」って笑顔になってくれる。そこで「何か足らんもんある?」って聞くと、「ファンデーション」っておばあちゃんが言うから、「おばあちゃんいらないでしょー」ってギャグでいうと、「まったくあんたはー(笑)」って楽しい会話になる。オレが行ったところは周りも全部被災してるんで、10日間くらい誰もこなかったらしいんですよ物資も。本当にテレビも電話も水も電気もない。だから、日本全体がこんな状況になっちゃったんだと錯覚してて、そんなときに東京から太った兄ちゃんが「イエーイ」って来て歌うだけで、「ああ、日本にも無事なところがあったんだ」ってわかっただけで嬉しかったって言ってくれて。そういうことがこれからもできればなと。

--最後にメッセージをお願いします。

判治 とにかく『POWER TO JAPAN』ができたら東北に行くから! 東北全体がヤバいし、ライブハウスもヤバい。だからオレたちはまずはライブハウスじゃん。ライブハウスで仙台とか岩手とか郡山とかをがっつり行くから、待っててくれよ、よろしく!

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AFRICAEMO 岸ジョージ

AFRICAEMOジャンルの説明は無用。ロック、ヒップホップ、エレクトロ、すべてを飲み込むフリースタイルで東京の音楽シーンをかき乱すAFRICAEMO。『POWER TO JAPAN』ではボーカル・岸ジョージがマシンガンラップを披露してくれました。

AFRICAEMO
http://africaemo.com/

ライブに賭ける力が強くなる


--まず『POWER TO JAPAN』に参加したきっかけを教えてください。

ジョージ (尾形)回帰さんからチャリティの企画を考えてるんだけどという連絡を貰って、すぐに「やりましょう」と返事しました。地震が起きたときは東京にいたんですけど、今まで生きてきたなかで一番大きい地震だったのでとにかく不安でした。そういうときって人間の小ささが見えちゃうんですけど、3日間くらいずっと不安で、他の人に気を配れるほどは余裕が無くて、バンドのメンバーだったり、家族だったりの安否をまず確認して、少し落ち着いてきてからようやく周りが見えるように。

--"不安"というのは確かにありましたよね。

ジョージ ちょっと落ち着いてきたときに、僕もやっぱり音楽をやっている人間なんで、どういう形ででも何か発信したいなと思っていたときに、『POWER TO JAPAN』に誘ってもらったので、すぐに「やりましょう」と返事をしました。

--震災を経てミュージシャンとして変わった点はありますか?

ジョージ 地震の前に別のコンピレーション・アルバムに参加していて、そのツアーのなかに仙台も組んでいたんです。それが震災で延期になって、一回一回のライブ、一回きりのライブは今まで以上に気持ちを入れてやらないといけないというのが変わったところです。いつも全力でやってるんですけど、もっと一回一回にかける力が意識的により強くなってますね。やっぱりあれだけのことがあったんで、意識的な改革というか、影響は絶対ありますね。

--『POWER TO JAPAN』のレコーディングに参加されてみていかがでしたか?

ジョージ 今までミュージシャンとして活動してきて、こんな大人数でひとつの作品を作ることは経験したことがなかったので、単純に楽しかったです。この楽しさが詰まったエネルギーが上手いこと届けばいいんじゃないでしょうか。個人的には16小節で言いたいことが言えたと思います。

--ジョージさんはラップ部分を担当されてますが、どんな要求をされたんですか?

ジョージ 回帰さんから歌詞がきて、あとは「全部まかせる」と。AFRICAEMOでは自分の言いたいことを言ってしまうので、今回はきっちり韻を踏んで揃えてみました。

--AFRICAEMOのノリが出てますね。

ジョージ ハジメタルさんのピアノがエモーショナルすぎて上昇しました、完全に! いや、もう楽しかったです。最初はチャリティーソングだし、しんみりした感じになってたらどうしようと思ってたんですけど、そこはやっぱりHEREで(笑)。回帰さんの歌詞がめちゃめちゃポジティブで良かったです。

--ここは聴いて欲しいということころは?

ジョージ 『POWER TO JAPAN!』ってところは言いたいと思ってました。あそこはもうベースが入ってきたところで叫びたかったところですね。

--聴いてくれる方へのメッセージをお願いします。

ジョージ 凄いパワーが詰まったいい曲なんで、多くの方に聴いてもらいたいです。「心地いいだけのBGMじゃ物足りないでしょ」と歌詞の中にも出てきますし、HEREの持ち味は元気でパワフルなエネルギッシュなライブだったり、音源なので、それに参加できて嬉しいです。是非、聴いてください。

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FRUITS EXPLOSION LEE

AFRICAEMO 爆発的なパフォーマンスで毎夜ロックンロール・パーティーを繰り広げているFRUITS EXPLOSION。「POWER TO JAPAN」に参加した熱い気持ちをボーカルのLEEくんに語ってもらった。

FRUITS EXPLOSION
http://fruitsexplosion.asia/

今まで言わなかったことを言わないとダメだろう


--3月11日はどんな1日でしたか?

LEE 前日に10コ下の妹が徳之島から上京してきていて、おしゃれな美容室で髪を切りたいっていうから一緒に行っていて、僕もついでにブリーチしてもらってたときに地震がきた。美容室が全面ガラス張りだったからすげー怖くて。お客さんも避難してのるのに妹はいない。「妹はどこだ?」と探したら、シャンプー台に寝かされてた(笑)。揺れてるの気づかなったみたいで。

--あの地震に気づかないなんてさすがLEEくんの妹!

LEE 妹は徳之島から東京に来て24時間たってないときだったから、全部ファンタジーだと思ってたみたい。体験するものが全部ファンタジーだから。テレビで地震のことをみても本当のこととは思えなかったみたい。

--あれがSFでもなんでもなく現実で、LEEくんは兄としても受け止めないといけない状況だったわけですよね?

LEE 地震の日は何が起こっているか知りたいけど、携帯もつながらなくて……。twitterとかで情報を得つつ。ワンセグでニュースを見たら凄いことになってて、僕も理解できなかったです。理解できないまま2日くらい過ごして、そのあとにいきなり歌詞をばっーっと書いて、それをYOUTUBEにあげてました。

--普段から、できた曲をすぐにYOUTUBに発表してるんですか?

LEE いや。できたての曲をなんの吟味もせずにアップするのは絶対よくないんですよ。だけど、とりあえず今の気持ちだからそれを伝えようと。今、改めて聴くと変な批判が入ってたりとかして、今のオレはそう思ってないよと思う事があるんですけど。とりあえずメッセージを何か伝えたかったんです。

--ライブアクションも早かったですよね?

LEE 東京にいる元気なやつらは普通のことをしたほうがいいと思って3月14日にアコースティックライブをやったんです。お客さんは4人しかいなかったけど、神戸から来たって子たちがすげー楽しんでた。その日はユーストリームでも流してたら、徳之島の地元の奴や、対バンでTEXAS STIYLEって岩手のバンドもやってたんで、彼らの地元の人も見てたり。だから、僕は早く日常に戻そうと思ってましたね。

--地震の前と後ではミュージシャンとして自分のスタンスや曲作りに影響があったりはしますか?

LEE 完全に変わったと思います。でも何が変わったんだろう? とにかくこれをやっとかないとまずいぞって気がしてる。今まで言ってなかったことを言わないとダメだろうという気はしてます。例えば今までだったらふざけてみたりしてたことを、マジで歌えるようになってきた。ストレートには言わなかった凄いラブソングとか。前からある曲で、人前では歌えなかった曲をこのあいだのワンマンのアンコールで歌ったら、歌えるようになっていて、そう気持ちになれたのが一番大きいですね。

--「POWER TO JAPAN」に参加しようと思ったのは?

LEE 地震のあと、僕らも何かをやろうと思ってたんです。でも、具体的な行動プランがなくて、でも、バンドとして何かをやりたいって思っていたときにHEREの尾形さんからメールを頂いて……。メールの内容がどうこういうよりも尾形さんとは普段から、何か想いが共通するものがあったんで、メールを読んだ瞬間に「一緒にやりましょう!やりたい!」って感じで参加を決めました。こういう企画はひとつのバンドでやるのもいいと思うんですけど、みんな集まってやるっていうのが凄くいいと思うので。

--レコーディングはワンフレーズだけを歌っていくいつもとは違う感じだと思いますが、そのあたりの感想は?

LEE 初めてですね、いろんな人達が集まってひとつのことをやるっていうのは。さっきAFRICAEMOのジョージくんがレコーディングしてたけど、はじめて見たんですよね。ハジメタルさんも今日はじめて挨拶させてもらったし……。

--レコーディングの時間が違うから、全員と会えないのが残念ですね。

LEE ハンサム兄弟の判治さんがどんなテイクなのかすごく気になってるんでけど(笑)。みなさんが素晴らしいので、自分らしさをどれくらい出せるのかが勝負だと思います。

--「POWER TO JAPAN」の曲の印象は?

LEE 僕が全部歌いたいくらいでした! サビもAメロも頭からまるっと歌いたいなって感じでしたね、練習で聴くときも全部繰り返して聴いてました。尾形さんから歌詞が変更されるたびに新しく送られてくるんですけど、どんどん変わっていって、その、他のミュージシャンが曲を作る過程を見る機会って普段はないので、ミュージシャンとして凄くよい経験させてもらった感じがしました。

--LEEくんが歌った「笑顔のキミといつか会えますように/真っ直ぐな瞳で/この深い闇を睨む」ってところはボーカリストとしていかがでしたか?

LEE 僕は感情が昂ぶると声が高くなっちゃうタイプなので、もともとある曲のキーの高さでどう歌うかっていうところを心がけました。ホントだったらもっと「ワッー!」ってやっちゃいたくなるんですけど、それをしないっていうのが難しい。いつもそうなんですけど、歌詞の中の情景とか伝えたいことをちゃんと思い浮かべて声にだすというか。それさえできていればリズムとかピッチがズレてても、そっちのほうがよいテイクだなってなるんだけど、今回のレコーディングではそれが練習一回やってパッとできたんで、そういうパワーが曲のなかにあるのかなと。歌詞の部分もそうだし。想像しやすかったです。

--聴いてくれる方へのメッセージをお願いします。

LEE 音楽ってずっと残るもの。今の気持ちやメッセージをパッケージして閉じ込めているものだと思うから、いつ聴いてもらってもいいと思うし、聴くときがきたら聴いてもらえたらいいなと思っています。今は凄い大変な状況だと思うし、音楽もまだ聴く状況じゃない人もいっぱいると思うけど、CDを手に入れた人は持ってない人に貸してあげたらそのタイミングが、音楽を聴くためのきっかけになるかもしれない。そういうきっかけになるものを僕らが集まって作れたことは嬉しいし、僕らの気持ちが詰まってるんで聴いてください。よろしくお願いします。

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